中国酒(紹興酒)歴史・文化

黄酒(紹興酒)とは?中国の中で7000年もの歴史のある最も古いお酒です。2005年度の調査では生産企業700余り、主な生産地は、江南地方を中心に沿岸沿いに北は夾西省から南は広東省あたりまで及びます。中国国家標準規定の定義によると稲米、黍米、小麦、とうもろこし、などの主原料を蒸煮、加曲(麹を加える)、糖化、発酵、圧搾、加熱、熟成、ブレンド、して作られた醸造酒。簡単に説明すると、穀物を麹で糖化して醸造する日本の清酒と同じ並行腹式発酵の醸造酒です。日本では一般的に紹興酒と言われていますが、正確には紹興黄酒と言えば解りやすいと思います。





醸造酒の起源にまつわる論争から、これまでにいくつかの定説があります。中国には華北の黄河と華中の長江の2大文明圏から農耕の開始をもって文明が誕生しました。今から約7000年前にさかのぼる仰韻文化、半坡遺跡や河姆遺跡の発掘品から酒造りが発見されたのが起源となる定説、また2004年には、アメリカの大学研究チームが中国河南省にある9000年前の遺跡から発酵酒の残留物がある陶製容器を見つけたという論文を発表しました。他方文献上の記録では、夏王朝(紀元前2000年)5代目の王になった杜康いう人物が酒を発明した事が起源とされています。


ちなみに日本の酒造りの親方を「杜氏」と呼ぶのは一説には、この杜康杜いう人物の名が由来であるとのこと。時代は殷王朝に移り当時から酒は民衆の飲むものとしてでは無く権力者の王が飲むものとして造られ、当代諸王朝は酒と色を持って国を滅ぼし、現代と変わらぬ悪風習は、こんな古代から引き継がれているものであり、有名な成語”酒池肉林”は殷王朝の滅亡を揶揄した事から生まれた言葉です。また、この時代には多くの青銅製の調理器具や食器が発掘され、麹文化の始まりが見て取れます。この時代の麹の発見が、後に日本やアジアに向けて酒を醸造するための麹であったり、味噌や醤油、魚醤などの調味料に使用するための麹文化に繋がっていくのです。春秋・戦国時代に入り封建制が崩壊し、酒は大衆の飲み物に世俗化され酒造業という新しい産業の誕生となって酒造技術が大きく進歩した時代です。そして漢代には今日の黄酒製造の技術の基盤が完成されました。



蒸留酒の起源は明代の李時珍が「本草網目」で書いた「元代のはじめ」というのが通説になってます。元、すなわちチンギスカン率いるモンゴル帝国から蒸留酒が持ち込まれたと考えたようです。しかし近年、元代より以前に蒸留酒があったのではないかという議論が交わされています。元より以前に蒸留酒があったという説に、宋の時代「太平恵民和剤局方」や世界で最も古い法医学書と言われている「洗冤録」などに薬酒として処方されていた事が記されています。更に一代さかのぼり唐代、俗に唐詩という言葉が有るほど、李白、杜甫、白居易、などが輩出した漢詩が最も躍動した時代において多くの詩や史書に、それらしい言葉が出てきて史学者の間で蒸留酒の有無が論争されています。そしてさかのぼること数世紀、おおもとの起源は南方地域から渡来し隣接する中国西南地域の少数民族の地酒として伝来されたと言われています。まさに現在、名のある白酒は、起源の始まる西南地域、四川・貴州から始まり、北西地域、夾西・山西へとモンゴル族の侵攻する足取りとともに各地域へと伝来されているのです。



世界3大古酒でありながら、中国国民の黄酒に対する一般的な認識は、地方のほんのひとつの地酒であり、全国的には、まだその存在すら知られていません。しかし最近の傾向には、改革開放後の経済発展による流通網のインフラの発展、また、国の政策規制の下、中小のメーカーが減少し大手メーカーに集約され、良質で安定的に多量生産が可能になり、更に黄酒が健康にいいと世に見直され、徐々にではありますが、生産量も年々増加し全国的に普及し始めています。他方、白酒は黄酒に比べ、中国を代表する中国酒であり全国隅々に普及していますが、多民族国家による郷土愛のせいか、一部の銘酒を除き、各地域で生産される地元の白酒しか飲まない傾向でしたが、これも流通網の発展により地方白酒が全国的に見られるようになりました。しかし黄酒に対し高酒度な白酒は、低酒度の世流傾向に相反し、年々消費減少に陥ってます。そこで近年各メーカーは同じブランドでも低酒度の白酒を製造し市場の動向を覗っています。その他の飲食製造業に対しては比較的早く外国企業の参入を許可してきた国家が、国家機密とする酒造業に対し、ついに2003年以降外資企業への国内酒造業参入への規制を緩和し始め、新たな展開が始まりました。黄酒・白酒共々、歴史有る多くの酒蔵は、資本主義経済の中、廃業、買収、合弁と大きな変化を求められ、他方でワインという世界最強の外敵と戦わざるをえない現在に至ります。